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札幌高等裁判所 昭和53年(ネ)316号 判決

被控訴人、付帯控訴人(第一審原告、以下被控訴人という。)

籔内静枝

右訴訟代理人

鈴木貞司

右訴訟復代理人

向井諭

控訴人、付帯被控訴人(第一審被告、以下控訴人という。)

森和郷

右訴訟代理人

千葉健夫

右訴訟復代理人

磯部憲次

主文

一  控訴人の本件控訴を棄却する。

二  被控訴人の付帯控訴に基づき、原判決を次のとおり変更する。

控訴人は被控訴人に対し、金七七二万六、七六六円及び内金六九二万六、七六六円に対する昭和四九年六月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被控訴人のその余の請求(当審における拡張部分を含む。)を棄却する。

四  訴訟費用は第一、二審を通じ一〇分し、その七を控訴人の、その余を被控訴人の負担とする。

五  この判決の第二項は仮に執行することができる。

事実

第一  申立

一  控訴

(控訴人)

原判決中控訴人敗訴部分を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。との判決を求める。

(被控訴人)

本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。との判決を求める。

二  付帯控訴

被控訴人は付帯控訴のうえ、次のとおり請求を拡張した。

(被控訴人)

原判決を左のとおり変更する。控訴人は被控訴人に対し金一、二〇一万〇、六一四円及び内金一、一二一万〇、六一四円に対する昭和四九年六月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。との判決並びに金員の支払を命ずる部分につき仮執行の宣言を求める。

(控訴人)

本件付帯控訴(当審で拡張した請求をも含む。)を棄却する。との判決を求める。

第二  主張

当事者双方の事実上の主張は、次のとおり付加、訂正するほかは原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(被控訴人)

一  請求原因第4項記載の事実(原判決四枚目表三行目から同五枚目表末行まで)を次のとおり改める。

(一) 治療関係費 金三二万一、八六六円

(1) 付添費 金六万円

自宅療養中、被控訴人の夫が休職して付添つた費用

(2) 労災病院外治療費 金二六万一、八六六円

(イ) 藤井病院 金二万一、一二〇円

昭和五〇年六月から同年一二月まで

(ロ) 北海道勤労者医療協会(以下勤医協という。)中央病院 金九万七、七一八円

昭和五一年三月五日から同年五月二〇日まで

(ハ) 札幌医科大学病院 金二、九一三円

昭和五一年四月七日から同月二三日まで

(ニ) 北大医学部付属病院

金三、六九三円

昭和五一年三月三一日から同年四月一三日まで

(ホ) 道北勤労者医療協会(以下道北勤医協という。)旭川医院 金一三万三、六〇五円

昭和五一年五月一八日から昭和五四年六月五日まで

(ヘ) 旭川医科大学医学部付属病院 金二、八一七円

昭和五二年三月一七日から同月二四日まで

(二) 逸失利益 金八三八万八、七四八円

(1) 被控訴人は、本件疾病発症時、四二才の主婦であつたから、少くとも以降二五年間は稼働することが可能であつた。

(2) 昭和五二年度賃金センサスによる同年度における勤労女子の平均賃金は、年間賞与その他の特別給与額を含め月額金一二万四、〇〇〇円である。

(3) ところで、被控訴人の場合本件疾病による労働能力喪失率は四〇パーセントとするのが相当である。

(4) そうすると、被控訴人の逸失利益をライプニッツ式計算法により中間利息を控除して算出すると、次式のとおりである。

124,000円×12×0.4×14.094=8,388,748円

(三) 慰藉料 金二五〇万円

(1) 被控訴人は、昭和四九年六月七日から同月二一日まで一六日間美唄労災病院に入院し、同月二三日から昭和五〇年四月二日まで実日数二三日間同病院に通院し、その後は、検査、治療のため前記各病院に通院し、今後も道北勤医協旭川医院において治療を継続することとなつている。

(2) 控訴人は、原審においては、期日を空転させたり、控訴人の昭和五四年三月七日付準備書面で反論している大橋証人に対する反対尋問を放棄するなどして積極的な主張立証をせず、裁判所の和解勧告に対しても誠意を示さなかつた。

ところが、原審で全面敗訴の判決言渡を受けると、控訴人は、認容額の引き下げを持ち出し、弁護士費用、遅延利息の全部放棄を要求し、これに応じなければ控訴すると申し向けたため、被控訴人は、これ以上訴訟を続けることは精神的にも耐え得なくなるとの判断の下に、止むなく控訴人の主張する額で了承する旨回答した。

しかるに、控訴人は、右の当事者間の交渉と同時に同人の出身校である札幌医科大学から協力の約束を取りつけるに及んで、先の交渉の経緯を無視して本件控訴を提起したのである。

(3) 本件疾病により生じた後遺障害及び前記の諸事情を勘案すれば、被控訴人の精神的苦痛を慰藉するに足りる金額は金二五〇万円を下らない。

(四) 弁護士費用 金八〇万円

被控訴人は、本件訴訟の追行を鈴木貞司弁護士に委任し、原審及び当審着手金として各金七万円を支払い、成功報酬として認容額の一割五分にあたる金額を支払う旨を約したので、その合計額は金八〇万円を下らない。

二  原判決五枚目裏四行目から同五行目にかけて「金一、〇八二万五、一八二円の内金八〇〇万円」とあるのを「金一、二〇一万〇、六一四円」と、同五行目から六行目にかけて「金七四〇万円」とあるのを「金一、一二一万〇、六一四円」と、それぞれ改める。

三1  控訴人の付加主張第二項のうち、1については争う。

2  同2については不知。

控訴人主張のとおりの測定方法では、本件被害発生時の状況を再現することは不可能である。測定に使用したガスコンロは、被害発生時のそれとは異なるもので、ガスの排出量に格段の差が生ずるものであり、控訴人側の主張に符合する形で測定をなしたとしても、被控訴人としては到底認められない。

3  同3については不知。

(控訴人)

一  請求原因第4項に対する答弁部分(原判決六枚目表九・一〇行)を「同4の(一)の事実は不知。(二)及び(三)の事実は否認する。(四)の事実は不知。」と改める。

二  本件においては、被控訴人の主訴はあるものの、これについては確たる理学的所見はなく、かつ、本件病院の調乳室における一酸化炭素が原因して、これが中毒となつたとする証拠に乏しい。

1 被控訴人は、頭痛、吐き気、右手、口内、口唇の各しびれ感、全身倦怠感、物忘れ、胸苦しさ、下腿のだるさなどを訴えているが、これら一つひとつは一酸化炭素中毒に特有なものと言えないばかりでなく、右主訴と類似した症状を呈する病気として自律神経失調症も存在するのである。

2 また、札幌医科大学助教授江幡範名が昭和五三年一二月二二日本件調乳室内において測定した結果は、次のとおりである。

イ 本件調乳室においては、ガスコンロ(従来用いていたよりやや大型のもの)に点火せずに、かつ、排気用換気扇を作動させていた場合でも、ドアを閉めた状態で約八PPMドアを開放した状態で約三ないし六PPMの一酸化炭素が検出されているほか、煙草の煙によつてもその濃度が上昇することが認められるが、これは通常の建物内の空気中に含まれる濃度と大差がないものである。

ロ また、ドアを閉じ排気用換気扇を作動させずにコンロに点火した場合には、約一五分後に約五二PPMに達するものの、ドアを閉じ換気扇を作動させて点火した場合には約一〇分後に約二五PPMとなり、点火後約四〇分で約五〇PPM弱にはなるが、二時間の測定ではそれ以上の上昇はない。

ハ さらに、換気扇を作動させているかぎり、ドアを開放すると約一分後には約六ないし八PPMとなり、コンロの火を消すと約一五分後には殆んど零値に近い状態となる。

3 そこで、右測定によつて得られた程度の一酸化炭素の濃度によつて、被控訴人が一酸化炭素中毒となりうるか否かを検討する。

イ 労働省令である事務所衛生基準規則第三条二項は、「事業所は、室における一酸化炭素の含有率を百万分の五〇(五〇PPM)以下としなければならない。」として安全基準を定めている。

ロ また、医学書によると、六四PPMの一酸化炭素に八時間、八八PPMに六時間半曝露した場合には、いずれも中毒症状はないとされ、一八四PPMに二ないし三時間曝露して初めて前頭部の軽い痛みが生じ、一八四PPMないし二七二PPMに六時間曝露すると前頭部の痛みが生ずるが、新鮮な空気によつて急速に消失するとしている。

ハ してみると、被控訴人の場合、調乳室において都市ガスを使用していた時間は、一日約二時間であることが明らかであるうえ、前記測定によると、換気扇を作動している限り、ドアを二時間閉めたままの状態でも五〇PPMを超える一酸化炭素は検出されなかつたし、さらに、この二時間のガス使用中、被控訴人や他の従業員の調乳室への出入りのため、その都度調乳室内の一酸化炭素濃度はほぼ零値に近いものになるから、被控訴人が曝露した一酸化炭素の量は中毒となるほどの量ではなかつたことが明らかである。

ニ また、本件のように一日当りの曝露の量が微量な場合、血液代謝などにより、それが体内に蓄積されることはない。このことは、被控訴人の退職の二日後の旭川厚生病院における検査の結果からも明らかである。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一当裁判所も、被控訴人は、控訴人病院における調乳作業に従事中、同病院調乳室の設置、保存に存した瑕疵のため一酸化炭素中毒に罹患したものであり、現にその後遺症が存しているものと認めるものであるが、その理由は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決理由説示第一ないし第四項(原判決七枚目表五行目から同一二枚目表七行目まで)と同一であるから、ここに引用する。

1  原判決七枚目裏六行目の「第七号証の各一、二」の次に「第二二号証ないし第三四号証」を加える。

2  同八枚目表第一行目の「同藤井あや子」の次に「当審における証人小林義康」を加える。

3  同じく八行目に「午後一二時三〇分」とあるのを「午後零時三〇分」と改める。

4  同じく末行から裏一行目にかけて「ミルク瓶等」とあるのを「乳首、器具等」と改める。

5  同じく裏二行目の「約一万四、〇〇〇cc」の次に「を超える量」を加える。

6  同九枚目表八行目の「推移し、」の次に「昭和五〇年一月一三日から同月二二日まで右病院に入院し、同年四月二日まで通院したほか」を加える。

7  同一〇枚目表四行目の「認められるところ、」の次に「前記甲第六号証の二によると、看護婦長巡視の際に被控訴人から目にしみたり、湯沸用の鍋底がガスの不完全燃焼により「すす」がつくことがあるとの申出があつたので、エアーバンドの調節を行なつていたことがあると認められるほか、」を加える。

8  同一〇枚目裏六行目の「一般に」から同一一枚目表二行目の「できない。」までを「〈証拠〉によると、被控訴人が美唄労災病院に入院の際に訴えていた頭重、倦怠、食欲不振などの自覚症状のかなりの部分は、かなり几帳面とも思える被控訴人の性格とも関連してやや神経症的な反応であると解されているものの、これらは前記調乳室における一酸化炭素の被曝を契機として生じたものであると認められ、これに反する証拠はないから、前記検査の結果は被控訴人が慢性一酸化炭素中毒後遺症に罹患していると認定するに妨げとなるものではない。なお、当審証人高橋長雄は、慢性一酸化中毒症の存在を否定するが、〈証拠〉によれば、低濃度の一酸化炭素を持続的にあるいは反復的に吸入すると諸種の症状の表われることは多くの学者によつて承認されていることが認められるから、結局は用語の問題に帰着するものというべきであり、右証言も前記認定を左右するものではない。」と改める。

9  同一二枚目表二行目の次に「この認定に反する〈証拠〉は、その実験に使用したコンロは、被控訴人の勤務当時におけるものとは異なり比較的新しいものであるうえ、ガス燃焼状態の再現について被控訴人の勤務当時の状態に近似させることへの配慮を欠いているものと認められるので、右認定を左右するものではなく、他に、右認定を覆すに足りる証拠はない。」を加える。

二そこで、被控訴人主張の損害について判断する。

1  治療関係費 金三二万一、八六六円

(一)  付添費 金六万円

当裁判所も被控訴人主張の付添費は金六万円を相当と認めるものであるが、その理由は原判決一二枚目裏一行目から八行目までの理由説示と同一であるから、ここに引用する。

(二)  治療費 金二六万一八六六円

〈証拠〉によると、被控訴人は、本件疾病について左記の病院において検査あるいは治療を受けるため同所記載のとおりの費用を要したことが認められ、これに反する証拠はない。

(1) 藤井病院 金二万一、一二〇円

昭和五〇年六月から同年一二月まで

(2) 勤医協中央病院

金九万七、七一八円

昭和五一年三月五日から同年五月二〇日まで

(3) 札幌医科大学病院

金二、九一三円

昭和五一年四月七日から同月二三日まで

(4) 北海道大学医学部附属病院

金三、六九三円

昭和五一年三月三一日から同年四月一三日まで

(5) 道北勤医協旭川医院

金一三万三、六〇五円

昭和五一年五月一八日から昭和五四年六月五日まで

(6) 旭川医科大学医学部附属病院

金二、八一七円

昭和五二年三月一七日から同月二四日まで

2  逸失利益

金六三三万六、五九二円

被控訴人の逸失利益についての当裁判所の判断は、次のとおり訂正するほかは、原判決一三枚目裏一〇行目から同一五枚目表五行目までと同一であるから、これをここに引用する。

原判決一四枚目裏四行目の「原告主張」から同五行目の「ので、」までを「一か月金九万三、六六六円であるから、」と、同一一行目に「金六万一、九〇〇円」とあるのを「金九万三、六六六円」と、同一五枚目表三行目に「金四一八万七、五九二円」とあるのを「金六三三万六、五九二円」と、同五行目に「61,900」とあるのを「93,666」と、同じく「4,187,592」とあるのを「6,336,592」と、それぞれ改める。

3  慰藉料 金二〇〇万円

〈証拠〉によれば、被控訴人は、昭和四九年六月七日から同月二二日までと昭和五〇年一月一三日から同月二二日までの計二六日間美唄労災病院に入院し、昭和四九年六月二三日から昭和五〇年四月二日までの間同病院に通院したほか、前記認定のとおり各病院に通院し、現に前記認定のとおりの後遺障害を残していること及びその他本件に現われた諸般の事情を勘案すると被控訴人の精神的苦痛を慰藉するには金二〇〇万円が相当であると認められる。

4  減額

以上のとおり本件により被控訴人に生じた損害額は、後述の弁護士費用を除き合計八六五万八、四五八円となるところ、被控訴人主張の症状のかなりの部分は、前記認定のとおり被控訴人自身の性格と関連して発現しているものと認められるから、これを考慮すると控訴人において負担すべき金額は、その八割に当たる金六九二万六、七六六円とするのが相当と認められる。

5  弁護士費用 金八〇万円

〈証拠〉によれば、被控訴人は、本件訴訟の追行を鈴木貞司弁護士に委任し、原審及び当審における着手金として各金七万円を支払い、成功報酬として認容額の一割五分を支払う旨約したことが認められるところ、前記認容額、事案の性質、訴訟の経緯等を考慮すると、控訴人に負担を命ずべき弁護士費用は金八〇万円とするのが相当である。

三よつて、被控訴人の本訴請求は金七七二万六、七六六円及び内金六九二万六、七六六円に対する被控訴人が本件疾病に罹患した日の後である昭和四九年六月一日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において認容すべきであるが、その余は当審における請求の拡張部分を含めこれを失当として棄却すべきであるから、これと異なる原判決を被控訴人の付帯控訴に基づき右のとおり変更することとし、控訴人の本件控訴は理由がないからこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第九二条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(石崎政男 寺井忠 吉本俊雄)

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